カテゴリ:徘徊( 6 )

 

2012.08.18 夏休み日記帳 Part3

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18日早朝、日の出直前の極彩色の空をカメラに収めてから通りを渡って山下公園に出た。この通りと公園は今でも横浜らしいなと思う。早朝の公園には老若男女いろいろな人がいろいろな目的で現れる。私の場合は喫煙だ。お行儀良く携帯灰皿持参である。昨夜の中華街といい、この公園といい、清掃ボランティアがいる反面ゴミが多い。民度が低いのか「旅のゴミはポイ捨て」の輩が多いのかわからないが少し気になる。ファストフード、コンビニの類はすべからく自店舗のTakeOutに伴うゴミに責任を持つべきだ。また、急に街角からゴミ箱を撤去したこともポイ捨てに拍車をかけてしまったのではないか。今や老いも若きも立ち食い、歩き食い天国なのに捨てる場所がなくなったわけだから。
e0183673_5183083.jpg今日は東京に戻らねばならない。今夜、学生時代のアメフトチーム創設40周年記念パーティーに出るためだ。T.R.Jets。アーバンリーグの同好会チームで明治学院大学の連中が中心。街の同好会チームが40年間活発な活動を続けているというのも稀有だと思うが、成蹊大学のアメフトから、言わば外人部隊の私を快く迎えてくれ、リーグチャンピオンの喜びも共にした仲間たちだ。夕方、表参道の会場に向かう。40年振りの顔はどんなだろうと、これは想像もつかないのだが、覚えている名前を頭の中で呼び起こしてみる。
会場のLocanda F.Q.は人でいっぱい。聞くと現役プレーヤー30人、OBが約40人来ているという。中は熱気でムンムンだ。入口から懐かしい顔、顔、顔だ。ただし、面影はあるが名前や当時のポジションははっきりしない者もいる。太ったり白髪頭だったり禿げたりしてはいるが、記憶をたどって話をしているうちに徐々に当時の面影が蘇って来る。e0183673_5191313.jpg
チーム創設時の話を聞くと、どうやら私が所属していた頃は創設2~4年目くらいのようだ。毎週多摩川のグラウンドで練習し、そしてリーグ戦。また、夏休みには何日もかけて伊豆半島をめぐって遊んだものだ。
パーティーはJazz & Latin Vocalist麻生ミツキータ光稀さんのミニライブで更に盛り上がる。私もまたいくつか懐かしい顔に出合って旧交を温めていると、アナウンスと共にギタリストのChar氏が飛び出してきた!?彼も明学でチーム創設メンバーたちの旧友だったようだ。どうもさっきからどこかで見たような顔だと思っていたが、皆も同じなのか会場が一瞬どよめいた。彼はサッとギターを受け取るとRay Charles の“What'd I say”で一気に会場を爆発させた。流石だ~。もちろん私は以前からファンなのだが、最近の大和ネクスト銀行の秀逸なCM、Otis Reddingの名曲、“Sittin' On The Dock Of The Bay”の鮮やかな演奏はクールで大好だ。
パーティーがそのまま二次会に突入する頃、明朝、逗子行きが控えているので会場を後にした。元来無精で、同窓会のようなものは避けてきた。つまりは、あまり後ろを振り返らずに生きてきた60年なのだが、恐らく人生で一番良き時期を共にした友人たちに囲まれると少々考えを改めたほうがいいかなと思った。これからもたまには旧友たちと酒を酌み交わすのも悪くないだろうと思うと、少し若返ったように力が湧いてきた。
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by 50SanKai-club | 2012-08-23 05:25 | 徘徊  

2012.08.17 夏休み日記帳 Part2

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昨日一旦帰宅して、翌17日昼頃、再びベイサイドマリーナへ。船に着くとT田船長、S飼船長の笑顔が迎えてくれた。今潜って船底掃除を終えたところで、ちょうどいいタイミングで私が現れたんだそうである。もしやと思ったら、ご自分の船ばかりでなく隣の私の船底も面倒見てくれたらしい。あ~、ありがたや。神様、仏様、T田様!e0183673_436561.jpgここ3週間ばかりで急に海洋生物の付着が勢いを増し、週末ごとに気になっていたところなのだ。水中写真を見せてもらうと、船底ばかりかラダーにもスクリューにも真黒に見えるほど海洋生物が付着していた。これではせっかくのフォールディングペラも帆走時に閉じられない。先月乗り換えた船なので、前回の船底塗装がいつだったのか、どう処理したのかはわからないのだが、T田船長の印象では、船底塗料、ペラクリンが効いてないんじゃないかというのである。e0183673_438492.jpg見た目にも頑固に固着した海洋生物どもをT田船長が何回も潜っては落としてくれたらしい。普通、軍手や柔らかいもので、塗装をなるべく落とさないように拭って取るのだが、特にペラなどはそんなことでは落ちなかったという。まだまだ残暑が続くとしたら・・・頭の痛い問題だ。
昼食は「ベイサイドマリーナホテル横浜」内にある「創作ダイニングbrezza」でとった。ここはつい何年か前に、マリーナを一望できるメゾネットタイプの客室を売りに出来たホテルの付帯施設で、予てからステーキが美味いという噂だ。e0183673_4395990.jpgすぐ前に船を停めているのだが使うのは初めて。店内はガラス張りで明るく広々としている。雰囲気もシンプルで好ましい。ランチメニューから白身魚のポワレと牛フィレステーキを選んでみた。味はしっかりしているがしつこくなく美味い。ちょうど昼食時、この時間帯ではアウトレット街のレストランは混んで、店によっては並ぶはめになるが、ここは一般客の駐車場からアウトレットに向かう途中なので空いている。ますますGood。ゆっくりと昼食をとって船に戻った。
e0183673_4405870.jpg強烈な日差しで指を動かしても汗が噴き出すほどだ。キャビンクッションをいくつかデッキに出して日干しする。一昨日、外せるクッションカバーは持ち帰って洗濯してきたが、底板で作りつけのクッションがいくつかあるのだ。使用頻度の、恐らくは低かった船なので全体としてはどこも綺麗なのだが、クッションの潮をかぶったような湿っぽさが思いの外厄介だ。カバーの洗濯だけで改善できるのか、中のスポンジ劣化まで考慮しなくてはならないか、今後の問題だが悩ましいところだ。
陽が傾き始めた頃、マリーナを後にして横浜港に向かう。今日は中華街で夕食を楽しんで、山下公園前にあるホテルで一泊するつもりだ。予定通り17時チェックイン。一休みして街に繰り出す。中華街は人であふれかえっていた。しばらくぶりだと随分街並みが変わったように思えた。道筋は変わらないので、なんとか座標を修正してそぞろ歩きながら夕食の場所を物色する。見慣れた横丁で海員閣を見つけのぞいてみると空いている!e0183673_4423620.jpg中華街に来ると必ずのぞく店なのだが、いつも列待ちでなかなか入れない店だ。名前の由来もその昔は船乗りが多く使ったからだと聞いている。今でもコークスを使った強烈な火力の料理で有名だ。名店と唱われながらも店主は「ただのラーメン屋だ」と言い切るあたり、またぞろイナセで好ましい。車海老の殻煮とか牛バラ煮込みそばとか聞くだけでヨダレが出てくるが、相席が常態でオーダーとるのも一度だけという店だったと記憶している。今日は豚ばら煮込、海鮮うま煮とチャーハンを完食!いや~、量、味ともに抜群だった。
店を出ると今度は腹ごなしのために中華街を散策だ。中華街のランドマーク的な建物はそのままだが、やはり街並みは変わったような気がする。最後にアンニンドウフを買い込み、まだまだ賑わう中華街を出た。ホテルへの帰り道にJazzダイニングバー491Houseがある。手軽に小粋なJazzライブと酒とメシが楽しめるお気に入りの店なのだ。店の名前は聖書の「人間は神に7×70の罪を許される」に由来するらしい。しかし、491番目が許される罪なのか、はみ出してるから許されないのか、どうも記憶と最近聞く解釈が一致しない。e0183673_4433722.jpg個人的には許されないほど罪深さをはらんだ行為、それがJazzに耽るにせよ飲酒におぼれるにせよ、の方が危険で魅力的なのだが。
ホテルに戻って横浜港の夜景を楽しむ。眼下に氷川丸、遠くにベイブリッジが望める。対岸は大黒埠頭なので思ったより全体としては光に乏しいがいい眺めだ。大黒ふ頭側にホテルがあれば絶景だろうに。
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by 50SanKai-club | 2012-08-23 04:44 | 徘徊  

2011.10.10 栗(九里)より(四里)美味い十三里

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晴れ渡る体育の日、川越に行ってみた。古来江戸と直結して栄えた街である。e0183673_537267.jpgまたサツマイモで有名な地で、昔は焼き芋の看板は「八里半」とか「十三里」と掲げられていたらしい。「八里半」とは栗(九里)に近い味の意であり、「十三里」とは栗より美味いと言うことなのだ。自分ではずいぶん長い間、川越が江戸から十三里の距離になるからだろうと思っていたのだが、見当違いだった。それに日本橋からは十一里足らずのようだ。この辺の話も深いものがあって簡単にというわけにもいかないが面白い。西武新宿線・本川越で降り、最初に足を向けたのは名刹喜多院である。創建は古く平安時代、淳和天皇の勅により、e0183673_5375341.jpg天長7年(830年)に慈覚大師円仁が起こしたとされている。その後兵火にも焼かれたが再建され、特に江戸時代には徳川家に厚く遇せられ随所にその所縁の深さを感じさせている。境内は数日後に控えた川越祭りの準備もあって静かではなかったが、さすがに落ち着いた風格のある佇まいである。その威容は慈恵堂を中央に、南には慈眼堂、仙波東照宮、北には客殿、庫裡などを配し堂々たるもので、山門近くには五百羅漢もあって興味深く立ち去り難い居心地の良さに包まれる。e0183673_5392043.jpg山門を出て、最近つとに有名な小江戸に向かう。天気の良さにのんびりと進むと大正浪漫通の古めかしい石造りの町並みにやって来た。人通りもまださほどではなく、青い空に石造りの町並みが一層白く映えて映る。やがて一折れで蔵造りの町並みとなる。流石に三連休とあってここはごった返しており、折しも軒をつなぐ紅白の祭飾りと相まって煩いほどであった。本川越駅から蔵造り通りへと、今もこの街のメインストリートであるためかバスから観光客の車から数珠つながりとなり、折角の歴史的情緒あふれる街並みもただただ騒々しいだけで、仕方なく歩道にあふれる人並みの頭上から、やっと蔵造りの家々の屋根をのぞくといった具合なのであった。e0183673_5402750.jpg流れに揉まれながらしばらく行くと時の鐘楼のある通と出合う。表の県道とは違って車こそはさほどでもないが、やはり人でいっぱいだ。この小江戸と親しまれている街の一角も全体が観光地に特化した訳ではなく、地方小都市の生活感も入り混じった雑然とした感じがある。きっとこれからの長い時間をかけて更に観光地としての機能や雰囲気を増してゆくのかもしれない。店々の内訳もまた同じで、日用雑貨ありスポーツ用品店ありの中、土産物店や飲食店が立ち並ぶ。観光客相手の店と言えば、ご当地名物のイモである。焼き芋、ふかし芋、芋ようかんといったものを商う店が多い。e0183673_5411929.jpg昼時で昼食を取ろうと思うがどこも満席で空きがない。めし処といえばこれもまたうなぎ屋ばかり。もっとも妙なラーメン店に列を作っているよりはましではあるが、どこを向いてもうなぎの看板だ。特に小江戸らしい趣のあるうなぎ屋などは外まで客があふれ出て待っている。この地のように狭い範囲を見せる観光地であれば、人の流れ、車の乗り入れなど、もう少し工夫がほしいものだ。観光と一言でいってもやはり質があろうというもの。来た客にわが町のどこをどう観てもらおうかというコンセプトが大切である。訪れる人々も馬鹿ではない。その辺の、見せる側の心配りは必ず感じとっているはずだ。
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by 50SanKai-club | 2011-10-14 05:41 | 徘徊  

2011.05.14 新緑ランチ

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まだ何となく手放しで遊びに行く気になれず、週末は家事もあったので近所を徘徊して茶を濁して過ごすことに決めた。それにしてもこういう日に限っていい天気である。(笑)昼食を兼ねて散歩がてらに「ガーデン・スクウェア」内のイタメシLa Venturaに行くことに。e0183673_1004286.jpg
ここはつとに有名な店らしく調べてみると食べブログ系に沢山掲載されている。有名かどうかは私には関心がないが、緑あふれる中で食事できるのが嬉しくてお気に入りなのである。元は植木の生産販売をしていた所なのだろう(今も販売している。)広い庭に小洒落た洋館が緑に埋まるように建っていて、1階がCafeと植物、2階がイタメシという具合だ。以前一度来たが、やはり新緑のころだったような気がする。席に着くと、ついこの間終わってしまった桜の時期に来るんだったと後悔した。そうだ!最初に来たときもそう思ったのだ。デジャブーみたいに思い返した。レストランになっている2階はいっぱいに庭に向けて開け放たれてとても開放的だ。また、肝心な料理も丁寧でリーズナブルだ。
e0183673_1021169.jpg散歩にはちと大仰なカメラで静~かにバシャバシャ遠慮がちに撮る。席は満席で、この日は運よく飛び込みで空いていたが、どうやら常連は予約するのが常のようだった。
店のスタッフは忙しく動き回り、料理名と数を純粋なカタカナ発音のイタリア語で叫ぶ。客は老夫婦、アベック、家族連れといろいろだが誰もがみんな一様に静かに食べている。なんだか好対照で面白い。
ゆっくりと食事を終え店から表通りまで出ると、街の喧騒が排気ガスと共に戻って来た。ほんの少し引っ込んだところに、小さな森の中で食事が出来る場所があるのはありがたいことだと思った。散歩の後半は大きく回りながらうまいパン屋まで行くことにしよう。
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by 50SanKai-club | 2011-06-08 05:34 | 徘徊  

2011.05.06 寅さん

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大震災の日、勤め先の千代田区から中野区の自宅まで徒歩帰宅してみた。車道は駐車場と化し、歩道は人で溢れかえっている。やはり災害時は尋常ではないのだと実感した。広い交差点で歩行者横断に信号3回待ち、それでも渡れず遠回りを承知で途中までplan‘B’で行くが、これが相当遠回りとなってしまった。最短13キロ強だが、この日はそんなわけで15キロ。で3時間ちょいかかった。川のように流れる歩道では休むところもタイミングもなく、仕方なく歩き続けた。沿道のコンビニなどはどこもひどく混雑しており、立ち寄る気にもならなかった。あの日以来、しばらくの間は頻発する余震に怯えながら生活していた。体も揺れに敏感になってしまい、どこかにセンサーを組み込んだかのように微細な揺れにも感応できるようになった。
e0183673_9261942.jpg折角例年以上の雪に今シーズンはテレマークも精進しようと考えていたが、やはりこれもあの日以来消し飛んでしまった。そして大型連休も泣かず飛ばずだったがさすがに持て余し、気晴らしに念願の?「葛飾柴又です!」まで行ってきた。ご存知「寅さん」で見るよりもこじんまりとした街で、帝釈天の参道などもそれほど長くはなかった。駅前の「寅さん」に挨拶してから寺に向かうと随分立派な店が両側に展開していて浅草仲見世よりちょっと風情をとどめているような感じである。本堂に上げていただくとと、幾度となく映画に出てきた境内が美しく広がる。回廊に上がると御前様(笠智衆)と同じ目線で境内が見渡せる。今にも雪駄履きの寅が我次郎を追って山門から飛び込んできそうだ。e0183673_9274539.jpg楽しい妄想は尽きないが、その足で少し離れた寅さん記念館に向かう。途中葛飾区が保存してるという「山本亭」の庭先を通って表に飛び出すと記念館の真裏に出る。なぜ真裏なんだろうと首をひねるのだが仕方ない。回り込んで記念館に入った。この建物は巨大なトーチカのようで、横を流れる大河、江戸川の土手と一体化しており、建物の前後から階段を上るとそのまま土手に通じるようになっている。土手を川に沿って下れば水元公園。上れば矢切りの渡し。そういう所に建っているのだった。美術館、博物館の類ではないので展示物の数も多いわけではないが、寅さんという全48作の映画にまつわる展示物が面白く見られるように配置されていて、ちょっとロケ現場のようで楽しい。お馴染み「とらや」のセットなどは大いに気に入った。いたるところで映画の一場面が映し出されており、ついつい立ち止まっては見入ってしまうことになる。寅さんこと渥美清が逝って15年。思えばこのころの俳優は端役から主演まで、誰もが一切私生活の臭いをさせず正に「銀幕のスター」達だった。そのカリスマ性が作品を見る者に夢を与えたのだと思う。メディアに媚びてちょろちょろあちこちに顔を出さず、叩かれてもじっと沈黙し、作品の中でこそ生き生きと役を演じて見る者に夢を与える。そんな俳優堅気のある時代だった。渥美清もまた然り。だからこそ今でも寅さんも生き続けているのだと思う。映画の中の人物としてではなく、実際にいた男のように。
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by 50SanKai-club | 2011-06-08 05:20 | 徘徊  

2011.02.13 散歩 (阿佐ヶ谷周辺)

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二月の三連休。本来なら白銀の世界にいなくてはならないのだが、ちょっと気持ちのタイミングがずれてしまって家に引きこもっていた。そう、天気も天気で日本列島はすっぽりと低気圧とそれらから伸びる前線に囲まれてしまっていた。そして三日目、やっと太陽を拝んだ。さすがに二日間も家にいると形状記憶老人になってしまう。冬のケヤキ並木を歩きたいと思い阿佐ヶ谷を散歩してみた。
e0183673_1216541.jpg広葉樹の好いところは夏葉を茂らせて日陰を作り、冬葉を落として大地を明るくしてくれるところだ。野方の家を後にして妙正寺川沿いにしばらく行くと見慣れていた古い団地が姿を消し、立派な新しいものに建て替わっていた。整然と明るく整えられたのはよいのだが、気に入っていた本当にささやかな木立が無残な姿に変えられており少々複雑な思いがした。静かな住宅街をなるべく早稲田通りに飛び出さないように阿佐谷方向に進む。やがて中杉通りとの交差点だ。野方に越してきた当初は、今は亡き愛犬を連れての道すがら、この交差点近くのモスバーガーで朝食を買い込んで帰ったものだ。24時間営業の店で、早朝だというのにいつ行っても狭い店内は散歩途中のオアシスとばかりにお年寄りで満員だった。e0183673_12202436.jpg愛犬もその店も今はもうない。何日か振りの太陽が葉の落ちた並木道に心地よく注いでいる。午後の温もりのある日向を歩く。老人は日向が大好きなのだ。早稲田通りから青梅街道に向う立派なケヤキ並木は緩やかに上り下りしている。駅までの途中、小洒落た店が時々足を止めさせる。
この並木は穏やかでゆったりとした、武蔵野らしさをとどめる道だが、見慣れない店もあるのだから町は新陳代謝を絶やさないのだろう。やがて全国共通駅前風景にたどり着く。まだ高校を卒業し家を飛び出して自活していたころ、阿佐ヶ谷南口から青梅街道方向に住宅街を分け入ったところにあった出版社でアルバイトをさせていただき大変お世話になった。e0183673_1221319.jpgそういう訳で阿佐谷の四半世紀以上前の記憶も少しあるのだ。
JRの線路を潜ってまずは「阿佐ヶ谷パール街」を流す。ここは青梅街道から世尊院或いは神明宮への参道だったのではないかと思う商店街で、以前は落ち着きのあるアーケードだったのだが今は下町の商店街の様相で以前の面影はない。それでもまだ古い個人商店が残っており、「あ~、ここ、ここ。・・・」などと独りごちに昔の思い出を追ってしまったりもする。一旦この商店街を戻って、線路の北口に出て昔なじみの酒処を探しに行ってみた。e0183673_12235938.jpgこのごろは足が遠のいてしまい記憶の中の名前は「くじら屋」のはずであったが、行ってみると実際は「だいこん屋」だった。なんともまぁ、脳みそにも錆が出始めているらしい。表通りからだいぶ入ったところに懐かしい店はあった。日中ということもあり、今でも店をやっているのかがわからない。シャッターにはどこでも見かける悪ガキのスプレー落書きがあったりして、もう閉まったままなのかと心配にもなる。しまった店の前で佇んでいても仕方ない。世尊院の方に足を戻し、中杉通りの一本裏を早稲田通り方向に戻ると突然立派な社殿に行き当たった。神明宮である。e0183673_1228226.jpg早くも建久年間(12世紀ごろ)には一社を構えており、名のとおり御祭神は天照大神である。平成21年の大改修を経たばかりの真新しい神殿はとにかく美しく、この辺りには不釣合いなほど広々とした境内は冬の日差しが隈なく差し込んでいて気持ちがよい。作法どおりお参りを済ませ中杉通りに戻った。
途中、本物のアンパンマンをウィンドウに飾っている小さな自家製パン屋さんで午後のおやつを買い込んだ。種類こそたくさんはないのだが、割と好ましいものが二つ三つありトレイに乗せる。最後にこれも自家製のピーナッツバターを買って店を出た。陽も少し傾きもう暖かさを失い始めている。早く帰って午後Teaにしよう。
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by 50sankai-club | 2011-02-19 04:29 | 徘徊